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2006年08月23日

企業のニッチターゲットセグメント化と独禁法

こんばんは、河野です.
順調に1日おきの、エントリー.三日坊主にならなければいいんだけど.

今日はたまたま目にした日経BPでの 大前研一氏の文章が、私が以前考えてメモっていたテーマに似ていて尚且つ、意見が違うので書かせていただきます.

一言断りを入れさせていただきますが、私よりも長い人生経験があって、しかも世に認められている大前研一氏の意見なんだから 私よりもずっと深く、そして的確な意見なんだろうと思います.
また、独禁法については(このあと書くように)私自身の 理想論からはかけ離れたコンセプトの話であるので、タダでさえ興味の無い政策(お国)の話に拍車をかけて無知であることにお許しを願いたい.

 大前氏の話は、「国家を超えた独占・寡占産業が増えつつあるので、国家間でもそれを取り締まれるようにしなきゃ危ないよ」ということである.このテーマについて私が考えるポイントは、以下の通りである.

1.そもそも独占・寡占が目立つようになった背景には、
  それなりの意味・理由があるのではないか?
  (=ニッチ戦略を取らなければ生きていけないような市況なのでは無かろうか)

2.独占・寡占状態でも(大半が)正常に機能する条件も整いつつあるだろう

3(おまけ).国際枠での独禁法の検討は既に話題とされている


 
 
 
 
1)ニッチ戦略と独占の境界
 そもそもこの小見出しは、1年くらいずっと私のメモに掲示され続けていたアイデアテーマのひとつだ.すぐに気が付く話ではあるが、大前氏の指摘のように「世界規模での合併が続いている」のだろう.世界規模だけではない、国内だけ見てもM&A、TOBといった語句が新聞に並び続けるように、どこかの会社がどこかを買った なんて話は何も珍しくなくなった.しかも、これも当たり前の話ではあるが、全く関係の無い企業を買うなんてことはほとんど無く、ある程度既に持っている業務にシナジー効果のある企業と一緒になることが王道である.
 それとともに、差別化・付加価値化しなければ生きられないのも最近の企業の出す製品・サービスの特徴である.(もちろん、安さ一番で凡なものを作り続けることで儲けていく企業もある.ただそのコスト削減や、売りの手法に付いてもやはり他の企業では出来ないように工夫や改善をかける上では、目に見えないだけで差別化をしているのと同じことだと言えよう.)そして企業は、その特徴である部分を特徴づけ、維持するために 特許やブラックボックス化を使っている.

 さて、これらの行動はあまりにも当たり前の優秀な経営手法では無いだろうか?

 それに、大前氏は単純にミタル・スチールとアルセロールの業績状況を足して「こんなに大きくなる」、「こんなに利益が出る」と書いている(実際にそこまで単純な人じゃないだろうから、見せ掛けに解かりやすく書いているんだろうけど).現実の問題として、合併したからといってそのまま1+1が2になる合併などほとんど無い.もちろん1+1が3になる合併もあるが、1+1が1ままであることも(特に利益面)往往にして存在するのだ.例えば、最近合併した HDDメーカーのSeagateとmaxtorであるが、ここは合併してから初めての四半期決算が先月出た.それを見ても、あれだけ有利になると叫ばれた合併ではあるが、売り上げすら以前の足し算に満たない状況になっている.利益は、統合コストがあるのでしばらく足し算通りにいかないのは当然だとしても、また市況の状況を考えても、やはり立ち上がりが上手くいっているとは言えない.
 大体、彼の記事の中で何で「時価総額も売上高、営業利益、純利益、全てが会社の生産量に比例している」という記述になるのだろう.彼が挙げた比較グラフの中で、明らかに生産量に対して他の順位が、新日鉄もミタル・スチールも比例していないではないか.


2.独占・寡占でも不公正が成り立ちにくくなる
 という挙げ足は置いておくにしても、これだけ生産量の少ない新日鉄がこれだけの売り上げを挙げ、時価総額も高いというのは、キーポイントとして捉えなければならないだろう.もはや規模の経済だけで勝負できる時代では無いのだということを.これが、独占・寡占に対する一方的悪と決め付けることに疑問視する一つ目の理由である.

 二つ目は、これも大前氏の記事の中で既に書かれている.3トピック目「独占禁止法が無いと巨大企業はやりたい放題」の3段落目に、「日本の鉄鋼の価格はトヨタ自動車が決めているように・・・」という部分である.
 そう、トヨタ自動車が握っているのだ.彼がそのあとに例示した

「やがて鉄鋼の値段は中国が決める時代」
という話とは、明らかに違うということを指摘したい.トヨタ自動車は鉱石を掘って加工するようなことはしていない.明らかに鉄鋼業界のアウトサイダーであり、ステークホルダーなだけである.彼らから見ると鉄鋼企業は、ベンダーなのだ.ベンダー取引での売り手・買い手市場の変化については市況などある程度流動性があるもので、これは今回の話とは別の領域なので、これ以上言及しない.
 それと比較して、中国に鉄鉱石がたくさんあるから、鉄鋼業者がたくさんあるから、だからプライスコントロールされるんだ という話は、鉄鋼業者の中での話であって、業界インサイダーでの問題だ.全く話が違う.そして、ここにヒントがあると捉えている.
 そう、先ほどの例で直接その事業をやっているわけではないステークホルダーが、価格決定権を握る可能性がある ということは、それは独占・寡占が「監視されている」もしくは、「勝手なコントロールが許されなくなっている」わけだろう.ここに、独占・寡占が一方的な不公平をもたらすだけにはならない一つの例が出されているわけだ.
 それは監視という意味だけでなく、本質的には「一社・一業種だけではビジネスが成り立たない状況にある」という現在の世界的ビジネスの流れからも言えるだろう.モジュール化・水平分業などはまさにこれだ.一社で独占して、チップだけ、ダイオードだけを作り続けても、それを買って組み合わせるものが無ければ意味を成さない.一社だけではビジネスが成り立たない のは、いかにニッチに走って独占しようとしても、それほど上手く不公正な状況を作り出せなくなるということだ.

 三つ目は、「企業が成長せざるを得ない」という条件から言えることである.もしかすると、家族経営状態の小さな企業ならば、成長にストップをかけてでもその時の利益規模を維持することは許される.ただ、その規模は世の中に大きな影響を与えるほどのものではない.それほど大きな影響があるビジネスなら、きっとどこかに買収されるか、競合が参入してくるはずだからだ.例えば、iPodの裏面の鏡面加工であるが、あの技術はしばらくの間 日本の新潟・燕地区にある企業しか出来ない、といわれていた.しかし、最近の情報によれば(日経エレクトロニクスの7月31日号)、Foxconnが既にその技術を持ち受注を受けているとのことである.これがいい例だ.
 そう言えば、巷でいろいろ話題に上っている「Yahoo、Googleは独占企業でゾンビー」の話も、この例にすることができる.彼はエントリーの中ほどで、

「もし、ヤフオクが強欲でなかったとしたらーーーすなわち、「企業努力に見合った適正な利益」だけをサービス価格に乗せたとしたら、ビッダーズなどの、ライバル企業は、一瞬で消し飛び、草の根一本残らないほどの深刻な独占状態になりかねない。」
と書いているが、私は逆だと考えている.搾取価格は、逆に市場を作り出すと思うのだ.人間の感覚は思っているよりも敏感で流されやすく、情報は予想外の域まで行き届くものである.どんなに小さな規模であっても「ヤフオクよりも安いところがあるぞ!」という情報がひとたび飛び交えば、それに食いつく人間が出てくる.例えば、最近の家電量販店の価格競争だ.他店よりも1円でも安いところを求めて、人々は遠出する.KAKAKU.COMで調べる.それが結果的に交通費や時間のコストが掛かっていても、そう行動する人間が多いのは事実である.あれだけ安さで売るヤマダ電機でさえも、KAKAKU.COMに載っている最安値ショップに奪われている顧客は居るはずである. ネット上の話をしても、ヤフオクよりもイーオークションでの宿泊代の方が魅力的かもしれないのだ.(それだけに特化しているので、知っている人にとっては探しやすい.)
 さて、また別の角度から見てみよう.大企業が利益額を一定維持することに終始するかというと、その状況は今後一層難しくなるだろう.それは投資家・株主の声に応えて、更なる成長をどこかで実現しなければならないプレッシャーがあるからだ.(あ、ごめんなさい.実はこの辺の投資家・株主と企業の成長については勉強不足なので、一方的な感覚でしか書いてません.もっともしかしたら成長しなくても株主からプレッシャーのない業界・企業・仕組みだって存在するかもしれませんね.)

 という、以上3点の理由から 独占・寡占が存在したとしても、それほど不公正なことは一方的に実現しにくい状況が揃いつつあると考える.
 ちなみに補足としてではあるが、2点付け加えたい.一つ目は安易な意見であるが、ここ近年のCSR観点の流行から、モラルとして不公正な行動がやりにくくなっているだろうということ.二つ目は経験則からであるが、現在自分の関わっている業種で、競合企業間でかなり鋭い競争状態にあるにも拘らず、暗黙の了解でのパテント共有のようなものや、部品の供給・受注も発生している事例もあるため、同一産業間でも競争と協力が並存する可能性は多いに有りえる.


3.国際間での独禁法の検討(おまけ)
 この話を見ていて、「そういえば独禁法って 昔バイトさせてもらってたRIETIの同僚(同じボス{T澤さん}の元で働いていたが、10個も年上なので先輩か)が最近研究対象にしてたよな」と思って調べてみたのであるが、岩成・川越 他(2006)「国際カルテルに対するリニエンシー制度の国際協調問題」(PDF)として、国際間での独禁法制定の前に一歩現実的な、それが存在した時 各国の制度同士がどう影響するかということに付いて書かれている.(冒頭にも書いたが、私は基本的に政策については興味が無い.それがビジネスにどう影響してきてどう対応すべきかには現実的に考えられても、政策自体がどうこうはあまりにも自分がコントロールできなさ過ぎて、面白くないので・・・)


 以上、長々と述べてきたが 現実的には全ての不公正な取引や行いが無くなるような理想郷はありえないだろうし、だからと言って独占企業が皆 自らに取って有利なことしか考えない、というわけでもないはずだ.むしろ今後は小見出し2で述べたように多々の理由から、公正な動きをとる企業の方が増えてくる流れではあると思う.
 平均と正解は違う場所にあるが、徐々に平均は正解に向かって近づくようなベクトルを持っていると信じる.

2006年08月21日

web2.0をハードな目線で捉え直す

※いろいろ指摘されたので、最後尾に追加記述しました.


 皆様 こんにちは、半年振りにblogエントリー舞い戻りました.仕事の環境と立場が変わるということは、考え方だけでなく思い切りも変わってしまいますね.

 ネットの海から陸に上がった組織にいると 感覚は鈍ってくるんですが、ネットの世界にどっぷり浸かって、10年間信者を続けていた私なので そんな陸の上でも時々「これってどうなの?」とか聞かれちゃいます.
「web2.0について」だなんて流行に乗っているかのようで気が進まないのですが、その仕組みよりも、そもそも論に基づいて ハードな目線で捉え直したいと存じます.
 さてさて、皆様お付き合いよろしく.

 
 
 
 さて、web2.0だが、定義としてははっきりしたものがあるわけではなく、いろんな例が持ち出された概念的な説明に ここも あそこも なってるわけで、所謂 古い組織・考え方から見ると「なんじゃそりゃ」「結局googleのこと?」なんて感想を持たれてしまう.
 ただ、だらだらとネット生活を続けてきた人間からすると、数々の例を出されるだけで「そうそう!」と、響く.既にここから「認識が違う」、ということを念頭に置いて考えさせてもらう.


1)リテラシーのフィルター
 以下の式と流れをご覧頂きたい.

 Contents + 個人 = 楽しみ → Business

(私が勝手に作ったものだが)、基本的に最近のネットにおけるビジネス・サービスを見る限り 「コンテンツに重視し」、「個人という単位を重視し」たものは、「楽しみを産出し」、そしてそれがビジネスに繋がっていく・・・というような流れで説明されることが多いように感じる.これ関係のニュース・文章に普段から触れている人にとってはなんてことの無いキーワードを繋げ合わせただけである.
 ただ前述のように、この分野に浸かっていない人からすれば、「なんでそれがビジネスに繋がるんじゃ.どうせgoogleなんて広告商売だろ.コンテンツなんて、個人相手なんて、大した利益にならんじゃないか.」なんて言われてしまう.
 これは、既にこの分野に慣れ親しんだ人の「リテラシー」の差だろう、とよく感じる.ただ、そのリテラシーのフィルターがかかっているだけに、浸かっていない人たちには伝わらない表現しかできていないことも多い.


2)LongTailと需要対応
 前出のweb2.0の説明ページなどは、「~ができる」「~ができるようになった」「~という使い方」と言ったように現象を説明している.数々のweb2.0について書かれた記事やblogエントリーを覗いてみても、ほとんどが現象の説明(過去との差異)と感想、もしくはその影響について書かれているだけだ.
 ここでは、そもそも何の「ためになる」のか、ということを考えて捉え直すことにする.


 上記はおなじみのLongtailの図である.一つの新しい現象として例にとらせてもらう.
fig1.gif

 ここで見てもらいたいのが右の図で、言わずと知れた普通の正規分布図だ.人間の嗜好なんてさほど大きくその構成が変化するわけでも無いはずであり、そもそも商売で人のニーズの関係はこの正規分布図を使った方が多かったのだから、こちらをベースに話をさせてもらうと、図2以下では赤い部分が供給できる商品という設定にしている.

 図2は、手工業時代の「ひとつずつ手作り」という生産量に限界のある状況を映し出している.
fig2.gif

 図3になると、ほぼ現在の物理的商品が当てはまる大量生産時代の「低価格少品種大量」の状況である.はみ出した部分や、人々のニーズに満たない部分は我慢しろ、というラインナップになっている.そうは言えども、時代が進んで今は、生産管理・マーケティングの力で図4のようにかなり柔軟に対応しているはずだが.
fig3.giffig4.gif
fig5.gif


 そして、最後の図5がまさにLongtailを実践できた図となるだろう.オンデマンド・オーダーメードの時代、こんな風に多様なニーズに対応できるというのが理想であり、そして実現されていくのだろうと考えられる.GoogleのPersonalized PageやAmazonの販売数の少ないニッチ本対応はまさにこれだろう.

 Longtailにちなんで、80対20の法則を持ち出している例も多く見られるが、それも現象だけを見つめるのは実に商売的な観点に取り残されていると思う.80対20については、「上手く儲けられるところを掴もうぜ」的な発想で済ますこともできるが、Longtailは決して「へぇ、尻尾のほうでも儲けられるのね」で話を終わらしては意味の無い現象だと考えられる.(本当に尻尾の部分だけで見ても商売になっているところは そもそもの規模が無いと貢献して無い事実もあるようだし


3)web2.0はweb上だけで完結すべきではない
 こう考えて見ると、Longtail他、AdsensのPersonalize化も、WikiPediaやmixiやAmazonのリコメンドのようなユーザー参加も、そもそもは「人間の根源的欲求に応える動き」なのだと捉えることが出来る.そしてここで、IT化・ネット化というものがもたらした「分散的」で「コストの掛からない」という素晴らしさが成しえた結果が、オンデマンド・オーダーメードなサービスを提供できている現象だと捉え直すことも出来る.当たり間の話だ.ただ、当たり前の話は、結果的に人々が求めていたサービスにたどり着いているということを認識し直す必要がある.

 そう考えると、まだIT化・ネット化できていないサービス・商品は、ただ「よし共有できるスペースをホームページにつけよう」だとか「ネット上でオープンにしてみよう」だとか単純に乗り込むのではなく、「ニーズを満たすために(今満たせて無いニーズに)どう対応できるのか」から始めることが出来るだろう.それが、たまたまネットを使ったものであることもあるし(コスト的にもやはり素晴らしい技術である限り、可能性も確率も大きいのだろう)、そうでない対応で成されることかもしれない.
 web2.0が、web上での新しい動きで、これまで成しえなかった人々のニーズに応えることが出来たという結果論を、web上だけの話にで完結させるのはまずい.それでは先ほど書いたように「へー、じゃぁうちも企業のページでSNS始めてみよう!」という短絡的な発想か、「ウェブ上の話でうちの商品の儲けには繋がらないよね」で終わってしまう.

 web2.0が何を人々にもたらしたのか を考えた時に、IT・ネットの技術の素晴らしさを感じつつも、視野を狭めてはいけない.web2.0はごく自然な産業発展の現象の一つであり、「製品・サービスの需要と供給の関係の革新」だ.
 儲かる、儲からない ではなく、自然な人間の欲求に対応するために 採算が合うようにするにはどうしたらいいか、を考えて実行することがweb2.0の本質だと思う.


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 今日書いたエントリーはいろいろ資料を調べるのに時間をかけたので、それと比較すると一昨日のエントリーは 読み返しても、稚拙な感じがする...
 しかも、ちょうど池田さん抽象度高くweb2.0を表現しているので、こりゃー私の考えなんてなんて感情的な門だろうと、ちょっと後悔.

 ただ、これまでに指摘された点を補足するとすれば、私の述べる「人間の根源的な欲求」とは物理的・生理的なものだけではなく、もっと体験的・感動的なものも含めた「欲求」に応えるという意味で使っている.(そういう意味ではマズローの欲求段階説で言うと 根源的欲求は最下位の生理的欲求のみが定義されるので、言葉としては合っていない.私の記述では、マーケティング的なニーズ喚起を高度な欲求とし、もっと人間本来の内側に存在する欲求を根源的な欲求とさせてもらっている.) 例えば、ユーザー同士でコミュニケーションを取れるという一現象も、それはそもそも「人は一人で居るよりも 会話したいし、知り合いを作りたいと思えるだろう」という一般的な理想を達成しているという意味で、欲求に応えていると捉えている.
 池田さんの書くように中抜き現象が、現実では全て取って代わられなかったっことも、人間の本質的な理想に「やっぱり人に聞かないと」とか「人と対面した方が信頼できる」とかいう感情的な側面と、「自分ひとりよりも冷静に正解を選べる」という確率的な判断など 原理的に人間が持っている考え方にのっとったものだと捉えることが出来る.(逆説的に、効率という軸で人間の欲求を考えると、中抜きの方が良い と思う人間ももちろん存在するから、どちらか一方に駆逐されることは無いだろう.)
 もう一つ例を出すとすれば、ワープロ・コンピューターができた時に 紙の使用量が大きく減るだろうと予測されていたにも拘らず、実際は逆にプリントアウトなどで紙の使用量が増加した という現象(ワーマン(2000)「それは情報ではない」に書かれている)も、似たようなものだ.数字の上での回答よりも、もっと本質的な解に人間は従ってしまう.
 やはり最後は、人間の本質的な行動・気持ちに応えられるか というのがビジネスの本質だと考える.

 しかし、池田さんの話は ネット上だけでなくてもちゃんと当てはまる.面白い.勉強不足過ぎて、そういう考え方でネットの仕組が成り立っていることが理解できていれば、私ももっと感情的ではない話が書けていたかも.
 やはりこの業界は、技術的・構成的に学ぶことで得ることは多そうだ.普通に 暗号化の進化や、信号の処理の仕方を見ているだけで、「お、これって 一レイヤー抽象的に昇華させれば 人間社会行動に応用できるじゃん」ってのが多すぎる.大学に再入学してよかった.もうちょっと頑張ろう.