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August 22, 2005

〈情報〉が愛すべき〈作品〉になる場合

ああ、素晴らしすぎる.

元ソニー、現247musicでソニーコンピュータエンタテイメントの丸山茂雄氏が、
mF247を立ち上げた.
という話は、WBSで見てだいぶ前に知っていたのだが、
ここ数日blogが壊れてたお陰で、遅いレビュー.

いやー、たまらん.
彼の話は いつも(表面・話し方の迫力とは乖離して)とても緻密.
「いつも」というのは、これまで何回かテレビのインタビューを見てたのと、
会社の入社式での講話で 直接話を聞いていたから.
あの時も、表示していたスライドは、なんとも論理的な内容であった.
話してた内容は「お前らなー」の呼びかけから始まるすごい迫力だが...

で、今回のたまらんポイントは、ここ.

iPodに数千曲も入れられるという状況は、もはや音楽という〈作品〉を収集しているのではなく〈情報〉を集めて持ち運ぶという感覚なのであろう。つまり「1枚のビニール盤がすり切れるほどアルバムに針を落としていた時代」は、誰にとっても紛れもなく音楽は〈作品〉として聴かれていたわけだが、新しいメディアの発達とあいまって、リスナーにとって音楽は〈作品〉ではなく〈情報〉として捉えられているのではないだろうかという考えに至ったわけである。
 これは、音楽の内容や質が時代とともに変化してしまい、過去には〈作品〉として高水準にあったものが低水準の〈情報〉になってしまったと主張しているわけでは決してない。あくまでもリスナーの音楽の聴き方の変化に主眼がある。(mF247を始めるにあたって

お見事としか言いようがない.
参考に・・・iTMSの累計販売楽曲数と米国における音楽CDの出荷数量の伸び(出典:総務省「ネットワークと国民生活に関する調査」)


後に丸山氏は

 もっと聴きたい、すべて聴きたい、と思う人がCD購入やライブ参加の行動へと移るのである。これは音楽特有の現象ではなく、映画でも小説でも同様でソフトビジネスの根幹でもある。

こうも書いているが、最近の私の考察として 映画・小説と音楽の違いを、


音楽の使われ方・価値 :繰り返し利用
テキストの使われ方・価値 :即時・新規性、一度きりの利用でも十分
映像の使われ方・価値 :どちらかと言えばTEXTに近いだろう


と、捉えている.ただ、丸山氏の発言を聞いて、
音楽が「パッケージからフリー」になった時、テキストや映像と同じように、
競争が激しくなる(他のメディア商品と同じラインに立たされるようになる)可能性が
高まるのかな、、、と感じた.


彼は「映画でも小説でも同様」と書いていたが、音楽のように
繰り返し1人の人に利用される
という状況は、映画や小説ではあまり見られない.
あっても一生のうちに1つか2つ、多くても5作品くらいだろう.

それと比較すれば、音楽は
繰り返し1人の人に利用される 状況が極めて多い.


この音楽と テキスト・映像の
「価値ある利用方法の違い」が これからのコンテンツビジネスの明暗を分ける
と感じてならないわけだ.

もしかすると、先ほど書いたように音楽が、映画や小説レベルの激しい環境に
強いられる時代が来るのかもしれないが、
自らの音楽を使う生活局面を振り返ってもそれはちょっと考えにくい.

ああ、もしかしたら「金を取れる音楽」と「金の取れない音楽」に
明確な差が現れるのかな?
今までは 音楽っていったら流通形式が限られてたので、
お金が取れるものしか流れなかったわけだけど、
お金が取れないものも人の手元に流れるようになれば、
そりゃ、お金の取れる音楽は 貴重な存在になるわな.


もしくは、映像やテキストが音楽の側に近づいていくか.
(となると 映像とテキストを「ながら」取得できるツールと技術が必要になるわけだが.)
んーーー、これも難しいな.


やっぱ、金の取れる音楽が少数精鋭になって、金の取れない音楽が溢れるのかな.

投稿者 Rie KAWANO : 12:42 AM | コメント (4) | トラックバック (0)
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