November 12, 2004

非営利活動が、営利活動に与える悪影響(草稿1´)

先日は寝ぼけながら書いて、ボーっとしてたが、


>(保険料云々で ランニングコストのほうが損をする診療報酬とかの問題を除いて、単純に)

そうそう、診療報酬の件で ちゃんといろいろ点数を見ていると、
長期治療になればなるほど病院が損するような体系になっていることが
多いんだよね.
そういう意味で、長く患者を持ち続けることで損するように出来ている
ってことは、病院を営利化しない仕組みとして成功してるよなぁ.

  まぁそんなこったから、日本の病院は経営判断力が・・・みたいに言われるわけだが・・・
  確か、米国の医療制度では 医師とは別の人間が病院経営者として居なければならなかったはず.
  日本では院長って医者が兼ねてるんだよね.
  って、この辺の勉強は3年も前にしたものだから忘れちった.

ああ、なんか「そもそも日本で 正しい非営利なんてない」って結論になりそうでやだな・・・

投稿者 Rie KAWANO : 12:07 PM | コメント (3) | トラックバック (0)
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November 10, 2004

非営利活動が、営利活動に与える悪影響(草稿1)

とりあえず、いろいろと感じる「非営利」とか「ボランタリー」とか「善意」とかの行為は
その全てとは言わないまでも、大部分が 長い目・広い目で見たときに
市場・資本主義という社会に 悪影響を与えている とここ数年思い続けている.

感じていたことを少しずつまとめていこうかな.と.


そもそも、私が認識している 最高で完璧な非営利行動というのは
「病院」だと捉えている.

病院は、金儲けに走れない.
なぜなら 金儲けしたいのならば、患者に死なない程度の毒を飲ませ続けることが
一番の金儲けに繋がるはずだからだ.
病院にとっての顧客である患者が増えれば、収入は増える.
(保険料云々で ランニングコストのほうが損をする診療報酬とかの問題を除いて、単純に)
だけど、病院は患者を治し続けるのだ.
治し続けなければいけないのだ.
しかしながら、病院が無くなることが「いい状態」とも言えない、
それが完璧なモデルの非営利行動だと 感じている.


だがしかし、折に触れて話すのだが
現状のNPOというのは このモデルが完全に当てはまるものはほとんど無く、
最終的には 市場の手か、政府の手に委ねるべきものであることが大部分である.
そういう意味では
・完璧(に近い)非営利モデル=営利追求したときと逆の効果を求められるもの
・多くの非営利モデル=将来的に市場か政府に成されるべきことへのオピニオンリーダー的役割

だろうな、と思う.


で、ここで オピニオンリーダーであるからには
その役割を終えるべき時が必ずあるはずだ、と考えるのだが、
ここら辺の話は次回に持ち越すとして...


つい最近この手の話をしていた時に
「NPO(特に法人)は、市場と政府の双方から認められて 法人格を付与されているとしたら
 政府からも市場からも認められるような活動をしなければ・・・」
てなことを Iくんが言っていた.
まさに.
政府から資金を貰ってるだけではダメだし
(まぁ実際日本のNPOって政府から出てるお金貰って動いてるところほとんど無いけど)、
ましてや、市民から「寄付」で成り立っているのが 市場に認められてるとは一概に言えないだろう
市場の原理はやはり売買行為に基づいているはずで、認められるべきアウトプットに対して
対価(もしくはそれに換わるもの)を得て回す部分も必要
だろう、と.

それにしても「市民からの寄付」が 市場の原理で成り立ってない ってことを
もうちょっと明確に言いたいなぁ.
市民の収入の余剰が、そこに回ってるとしたら、
ある意味アウトプット(もしくは期待)に対して 対価を支払ってる とも言えなくないからなぁ.
でも、そうではないと言い切りたい.


次回に続く

投稿者 Rie KAWANO : 05:22 AM | コメント (0) | トラックバック (0)
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人々・社会への影響

今日、久々に (私が出会った中で一番頭の良いと思われる)起業家Y氏と食事をしていて
いろいろ仕事の仕方やビジネスの動きの話をしていた.

とりあえず、やつとは興味領域や思考が似ているのだが、
河野は「マクロ的な興味」が、Y氏は「ミクロ的な興味」がある
という話になっていた.
特に3年前と比較してその色は更に濃くなったように、私自身は思う.

一つのプロダクトや企業、キャリアを見つめても、
 Y氏は「人々にどんなもので影響が与えられるか」を問い続け、
 私は「人々にどのような影響を与えられるか」を問い続ける.


そして今日も 「学者を目指したほうがいいと思うよ」とか言われた.
最近たくさんの人に言われるなぁ.
でも、しばらくビジネス肌で生きますー.

投稿者 Rie KAWANO : 05:07 AM | コメント (0) | トラックバック (0)
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選手のあとの職業は・・・?

10月に発刊されることになった「図解雑学スポーツの科学」でも 私の執筆した7章で書いたのだが、日本スポーツ界の大きな問題の一つに“スポーツトランスファー”があると思う.
実際、日本で無くとも どこの国の選手でも存在する「転機」というものであるが、日本では少し状況が違うのではないか と思うのだ.

9月3日付の日本経済新聞のスポーツ欄に 元ボクシングの川島選手がコラムを書いている.実に自然で、実に共感できる内容なのだが、こういった考えを持っている(持ちながら体験している)日本選手は少ないように思う.
川島選手の書いていた内容はこんなものである.

 選手時代、ずっとアルバイトをしながらトレーニングに励んでいた.
 それが当然だと思っていた.
 世界戦の前にも「やめさせてくれ」とは言えず、「休ませてくれ」としか言えなかった.負ければまた生活の糧がなくなるからである.
 しかしそれはマイナスではなく、効用のほうが多かった.

選手寿命は、せいぜい一生の寿命のうちの3~5分の1程度だろう.しかしながら、選手(とりわけ幼い頃から養成コースを歩んできた選手)は、学生時代は「試合ではどんどん上位を狙え」と教えられ、「プロを目指せ」と教えられる.いざスポーツを職業にしたときにも「日本一になれ」「世界一になれ」と指導されてくるのである.

しかし、
選手引退後の その選手の進む方向について指導されたことの有る人間はどれだけいるのだろうか?

多くのスポーツ選手(得にトップまで上り詰められないが、プロ並に活躍していた選手)は、選手引退後 自分のしたいことへの進路を取れていないような気がする.私の周囲にいた選手は、「引退してもスポーツに関わりたい」と言うが、実際は・・・.

引退後にどういう生活が待っているのか、
どういって切り開いていくべきなのか、切り開くために選手時代もトレーニングと並行して学んでおくべきことは何なのか、
そういうことをきちんと選手が学ぶことの出来る場は必要なのではないだろうか?


(最終更新2002/09/16/Mon/02:31:10)

投稿者 Rie KAWANO : 05:03 AM | コメント (0) | トラックバック (0)
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スポーツと福祉の共通点

現在私は大学で「医療福祉」のゼミに所属している.
というのも、医療福祉界のノウハウはスポーツ界にかなり活かせると踏んでいたからだ.
双方の「経済的意味」というもので共通点が見えると私は考えている.

はっきり言って 福祉という分野でなにか事業を始めるとなると 営利目的どころか採算すら取れないことが多い と言うのは周知の事実だろう.
だからこそ、国の援助があったりするわけだ.

それはスポーツも似通ってると思うのだ.
スポーツ自身には 医療福祉ほど切羽詰った(無くなると命に関わると言うような)状況は見えない*わけだが、スポーツそのもので営利にうまくやっていっているビジネスは本当に少ないと思う.
スポーツ界でビジネスとして成立している スポーツ用具業界は医療用具と同じようなものだろう.主要たるビジネスとは言いがたい.
マスコミに関してもそうだろう.結局 読み物・見世物に過ぎなくて、スポーツの副産物だ.
本来あるべき、スポーツそのものに 商業価値と言うものはつきにくい.(あってもプロ野球とかプロサッカーとか 日本のスポーツのごく一部)

分野としてしょうがないものなのか.
はたまた努力が足りないだけなのか.

*私が“見えない”と書いた理由は、スポーツによる死亡事故やバーンアウトなど、大きな問題はあっても、それぞれがスポーツを原因としてみるよりも、死亡事故であれば医療を、バーンアウトであれば教育を と言ったように別分野のせいにしてしまえるから、一般的に実感が湧かない という理由.


(最終更新2002/09/18/Wed/06:39:49)

投稿者 Rie KAWANO : 05:03 AM | コメント (0) | トラックバック (0)
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文化とは何なのだ?

最近「スポーツ文化」という語句を良く聞くようになったように思う.

かく言う私も この法人の立ち上げ準備をしていた3-4年前は、必死になって「スポーツ文化」を追っていた.
何冊も何冊も「文化」についての本を読んだ.芸術文化、福祉文化、文化政策、文化学、とにかく文化とは何なのか追いかけた.
私なりの答えは“生活と密着していること”すなわち『生活習慣』こそが文化である と行き着いた.

晴れて、スポーツ文化という語句を振り回す(?)ことになった私だが、この業界の各方面の人たちと話す中から「わかりにくい」「漠然としすぎている」という助言を頂いた.
そりゃそうだ、私もあれだけ本を読んでやっと自分に納得できたのに.
ということで、ストレートに私は「スポーツを生活習慣に」と言ってきたわけだ.


で、冒頭にも書いたように このスポーツ文化という語句が良く使われるようになった背景には、スポーツ団体が増えた影響もあるかもしれない.
多くのスポーツ団体は「スポーツ文化」の確立に頑張っている.
うちの組織もその一つだろう.

しかし、ここで考えてもらいたいのは、
  スポーツ文化の確立=スポーツの機会を増やす
ことなのだろうか?と言うことだ.

近頃のスポーツ参加者は増えている.年間に1度でもスポーツをした人は確かに増えている.国の政策としてどんどん 場所・施設を増やしている今、単純にスポーツする人が増えるのは、至極適切な出来事であろう.
なのに、1週間に1度以上定期的な運動をする人はそれほど増えていないのだ.人口が増え、施設が増え、スポーツ機会が増えても、文化的で社会的な動向は 変化がつかめない.

ただ単に、スポーツ大会・運動教室を増やすことでは、根本原因が掴みきれていないのではないだろうか.
それ以上の何か働きかけがあって初めて、文化になるのではないだろうか?

無かったところに、新しいもの(文化)を作り上げるとしたら、
それ相当の「しくみ」を作る必要があろう.
スポーツをみんながすることが必要だ と言ってストレートに スポーツをする機会だけ提供するだけでなく、
もっと根底に流れる 社会的・経済的・心理的な方向性を変えていく必要があろう.

私は今、その「しくみ」のパーツを作ろうとしているわけだ.
多くの人に、解ってもらい、協力してもらいたいと切に願っている.


(最終更新2002/10/08/Tue/04:15:15)

投稿者 Rie KAWANO : 05:01 AM | コメント (0) | トラックバック (0)
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スポーツNPOの担うべき役割と置かれている位置

たまたま、大学でこのことについて話す機会があるため、
頭の中でまとめる と言うついでに、ここにも書いてみようかと思う.

そもそも、私がこのNPOを作ろうと思ったのは、
「NPOを作ろう」と思ったのが先なのではなく(当たり前だけど)、
「したいことにNPOと言う形式が都合よかった」ということを解ってほしいと思う.
  ・自分が学生であること
  ・日本スポーツ界が 金銭感覚を持ち込まない風潮があること
  ・したいことが「問題点への穴埋め」であること
という3点を考えて、NPOの形が楽であった.

(私の個人的な)理想は、スポーツをもっと良くしたい と言うことだが、
きっかけとなったのは 自由に情報のやり取りが出来ない環境.
しかしその根底には、スポーツ(特にソフト面)の経済的価値の低さ、と言うよりその指標があまり無いことも有るだろう.
それを考えると、「情報マッチング」は必須事項.そこに、対応する金銭価値は付加させていくも必要.
そして、それだけでは物足りない.それを支えるために「窓口拡大プロジェクト」「勉強会プロジェクト」などが在る.


ここでよくあるNPOの見落としがちな点をまとめるとすれば、

■「あって嬉しいもの」が本当に 社会のためになっているのか?
  → いいモノは安く欲しい
    ただし、それをタダで提供してしまえば、その市場は育たない
    その提供者が無くなったとき、終わってしまう

■理想と今していることが離れすぎ、もしくはそれからの発展ステップが描けていない
  → NPOなどボランタリーな団体としてありがちなのは、「今出来ることからしてみよう」
    それが本当の理念や目標に結びついているのか 考える必要有り
    例えば、目標が「指導者の育成」なのに「交流イベントしかしていない」とか

■1つの問題が1つの原因からだけで、成り立っていないことに注意する
  → ひとつの理想があったとして、それを解決する方法を取る.
    一見 正論だが、それだけでない何らかの原因が無いのか、
    またそれが失敗したとき他の糸口を持っているのか
    何本もの伏線を張りながら 解決策を見出さないと、本当の理念追求は難しい


とまあ3つくらい上がるわけだが、比較的ボランティア団体や、サークル団体がNPO法人格を持つ例も少なくないため、
以上のようなことが戦略的に達成されているNPOと言うのは珍しいかもしれない.
また、NPO という名前で かなり「逃げ」ることもできるので、営利団体比べると 甘いのも否めないだろう.
実際、うちのNPOも自信を持ってすべてクリアしているかと言ったら あやしいものだし.
(理想と今実施していることは、能力的にも経済的にもコネクション的にも ベストだとは言い難い...)


一般的にNPOは、「提供していることが タダのおせっかいで本当は 受ける側が迷惑していないか?」などを問われるものだが、
スポーツNPOの場合は、先に挙げた3点の方が目立つのではないか、と近頃思うのだ.

そういう意味で、NPO・・・それは
  「市場の失敗」で開いた溝、
  「政府の失敗」で開いた溝、この隙間を埋めるものでは無かったか.
市場の挑戦有りき、政府の政策有りき、で存在するはずのNPOも、
このスポーツ界では 少し事情が違うのかもしれない.

(最終更新2002/11/22/Fri/08:13:46)

投稿者 Rie KAWANO : 05:00 AM | コメント (0) | トラックバック (0)
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