2000.5.6〜8.28



スポーツ知識・情報の普及に関する実態と インキュベーション組織の必要性


  河 野 理 愛
< 2000年 8月 >


―  要  約  ―

 心豊かな生活を目指した健康志向にますますなりつつあるこの日本において、スポーツの持つ意味は大きい.しかし日本では競技スポーツ・健康スポーツにおいても、未だに正しい知識・情報は行き届いていないのが現実である.この現状の根底には、体育教育や社会のシステム、スポーツに関する企業や研究機関の在り方など広範囲、多分野に渡る原因が横たわっている.ここではスポーツに関わる各分野で今、本当に求められているものが何か考察し、既存のスポーツ組織の状況と海外の状況も含めてアンケートや文献で調査した.その結果、求められているはずのスポーツの知識・情報の提供については、体育教育では不徹底で、他の機関においても、高齢者や障害者を含んだ人々が欲しているものを、必ずしも満足できる状態で迅速に提供されているわけではないことが解った.また、知識・情報に限らず、人材や施設の提供、相談に応じる場や、スポーツに関わる人間が交流する場が必要とされているが、今の日本のシステムを受け入れるだけや、新しい機関を作るだけではその実現は難しいことも証明した.そこで、従来の日本には無かった新ポジションとして、科学者などスポーツ医科学研究の側と、選手や指導者のスポーツ現場の側、そして企業や国の施設など環境の側が、互いに歩み寄る、Sports Incubation Systemの存在を検討した.これをNPO化することによって対応する分野のタテ割りを防ぐことができ、より必要な側が必要なものを得、持っている側が譲る状況が作り出される.これは、日本スポーツ界の問題点を的確に捉えており、より有効なものへの改善を期待できるものだと言える.


―  目  次  ―

1.導入・・・1
2.既存の日本スポーツ界での限界・・・3
3.今、求められるべきこと・・・5
  3−1 健康スポーツ分野において・・・5
  3−2 体育教育分野において・・・6
  3−3 競技スポーツ分野において・・・10
  3−4 スポーツ科学分野において・・・11
4.既存のスポーツ関連団体・施設・・・14
  4−1 フィットネスクラブのサポート内容とスタッフ・・・14
  4−2 スポーツ医科学センターのサポート内容とスタッフ・・・15
  4−3 情報提供団体のサポート内容とスタッフ・・・17
  4−4 障害者スポーツ関連団体のサポート内容とスタッフ・・・17
5.海外におけるスポーツ界の状況・・・19
6.今後期待されるシステム・組織・・・22
  6−1 日本スポーツ界にある現実的ずれ・・・22
  6−2 インキュベーション的役割の重要性・・・24
  6−3 NPO組織とする利点・・・27
7.考察・・・30
 参考文献・・・32
 あとがき・・・35
 資料・・・36


1.導入
 これからの日本は、高齢社会を迎え、また完全週休二日制への移行による余暇の増大で、心豊かな生活を目指した健康志向にますますなっていくだろう.レジャー白書(1999)の調査結果では「今後、自由時間をどのような時間にしたいか」と言う問いにも46%が趣味やスポーツに、25%が健康のために使いたいと答えている.
 しかし健康のための、いわゆる「健康スポーツ 」をしていたはずが、間違ったトレーニング法などによって、逆にケガを導いているケースも少なくない.そのような例として知られる疲労骨折の症状のうち、16%はレクリエーションレベルのスポーツを行っていた人であったという事実も武藤(1998)が示している.また、そのようなケースは健康スポーツだけに限らず、競技能力向上を目的とする「競技スポーツ」になると、さらに問題は拡大してくる.例えば夏季スポーツ時に多く見られる熱中症での死亡事故件数は、日本体育協会(1996)が出しているガイドブックによると20年間減っていない.スポーツをすることによって得られるはずの「健康に楽しくあるため」「競技力向上のため」といった運動効果を、必ずしも全ての人が得てきているわけではないことが見受けられる.このような危機的状況の中で本当に求められるのは、必要に応じた正しい知識の普及であろう.そのために、健康スポーツと競技スポーツを併せ持つ日本スポーツ界には、これからスポーツ科学などを中心としたスポーツ知識・情報の介入が重要となる.
 白井(2000)によると、近年のフィットネスクラブブームで1980年代以降、様々なスポーツ施設・クラブが作られている.安全で健康的なスポーツの場を作るはずのスポーツ施設が増加しても、前述のようにケガや事故は減っておらず、現場へスポーツ科学が浸透しているとは考えにくい.これまでに作られてきた組織が運動効果を上げる正しい知識をうまく提供できていないだけでなく、一般にはまだ、スポーツ知識・情報の中でも特にスポーツ科学の概念が理解されておらず、一部のトップアスリートのものとしか考えられていない.しかし、事実として直接的な利用者からの要求は少ないものの、状況からはスポーツをするどの人にもスポーツ知識・情報は大きな必要性を持っている.この声なき需要に応えるためには、必要性を明確な形でアピールし、もっと現場に近い形でのスポーツ知識・情報の普及と提供をしなければならない.
 これを実現する可能性を握るものは、これだけ増加し、普及したスポーツ施設・クラブ・団体の存在をなくしては考えられない.ここでは既存のスポーツ組織に着目し、現在のサポート・サービス内容やスタッフ、PR状況、利用状況を海外との比較も交えながら、一般へのスポーツ科学介入を始めとする日本スポーツ界の発展のためにこれからのスポーツ組織がどう変わっていくべきか、新しくどういったものを必要としているのか検討していく.


2.既存の日本スポーツ界での限界
 日本のスポーツ界で、特に選手たちを指導する立場のでは、経験から指導していくという「経験論」の受け継ぎが多い.経験からの指導が全て間違っているとは言えないものの、それが"足かせ"となり今のスポーツ界の限界を生んでいることは確かである.ここではそういった例として、日本陸上界で起こったミスを挙げる.
 陸上競技での練習の基本を「もも上げ」としている指導者が日本では少なくない.しかし、伊藤(1997)が示すように、ももを高く上げれば速く走れると言う論は事実ではない.それは世界のトップアスリートに対する研究によって証明されていることではあるが、日本の陸上界にその情報が取り入れられてから10年も経っていない.それまで日本のトップアスリートは世界の走りとは逆のことをトレーニングしていたのであり、今もなお、そのような指導を受けてトレーニングに励む選手すら存在する.日本の短距離指導は「もも上げ」だけでなく、様々なことを他にも競技力向上のポイントとして示している.「腰を入れる」「足首はしっかり伸ばしキックする」「ひざを伸ばす」とは、陸上競技練習法の本にはっきりと書かれていることである.しかし、海外の陸上界ではそのようなことを教えてはいない.このような内容は一般に市販されている本に限らず、中学や高校の保健体育で配られる資料でも同様に書かれている.しかもこれらは現在でも新しく発行されつづけているのである.教科書自体には、こういったことが書かれてはいないものの、はっきりとした否定もされていない.これでは本の情報を頼りにして練習に励む選手や、参考にする指導者が、それを全く正しいものと思ってしまうのも無理はない.そしてそこで得たことを指導するから、指導を受けた選手がまたその経験を活かして指導していくという循環的な状態が起き得ることも容易に想像がつく.
 このように、指導すべき側の古くからの教えや思い込みによる知識の伝承にストップをかけずにいたことは、日本陸上界の大きなミスである.本来ならもっと早い段階で指導者自身が気付くか、研究者が"待った"をかけなくてはならなかったのだ.
 もちろんこのような事実は陸上界だけでなく、他のスポーツでも十分当てはまるからこそ、熱中症による死亡事故が減らないなどという悲劇が繰り返されているのであろう.またそれは競技スポーツだけの問題ではなく、健康スポーツにおいてもまだ発見されていない間違ったトレーニングは存在するだろう.
 しかし、科学的で正しい情報を得ようとして、一般の人間が第一線にいる研究者に話を聞きに行くということは、聞きに行く立場にとっても、情報を提供するはずの研究者にとっても容易いことではない.それがトップアスリートの場合でも、自らが進んで頼みに行くところから始めなくてはならないし、研究者も簡単に話を決められるほどの時間と予算を持ち合わせているとも限らない.
 これまでに続いてきた伝統的「経験論」指導の在り方や、情報を求めても手に入れられないこの現代日本スポーツ界の状態こそが、そこに選手の能力向上・健康状態向上に対する限界を作り出していることは一目瞭然である.


3.今、求められるべきこと
 ここでは、今、求められることとして、健康スポーツ、体育教育、競技スポーツ、スポーツ科学の各分野から見つめていく.その要約を表3にまとめる.

3−1 健康スポーツ分野において
 まず、そのスポーツをする環境がなかなか無いのではないか ということは、以前からも多くの人たちが口にするところである.しかし、文部省(1998)によると施設数などスポーツ環境の需要は、ここ数年のうちに大きく満たされるようになっている.スポーツ環境として人々が望んでいるのは単なる施設と言うよりも、その場でできるスポーツの種類を増やして欲しいことだとか、飲料水の持ち込み制限を取り払って欲しいなど、水上(2000)が示すように、もっと小さなサービスや配慮に対する需要であると言えよう.つまり、切なる悩みを聞き、受け入れる体制が必要だと言える.
 また健康スポーツとしてスポーツを楽しむ人には、スポーツ科学を含むスポーツに関する知識的情報が、自分たちからは遠い存在として思われている.しかし前述のように、レクリエーションのため、健康のためにスポーツをしている人にもオーバートレーニングなどによる危険は身近なところに存在する.このような事態は普通、正しい知識をもってすれば在り得ないことである.ここに日本スポーツ界の一般に対する基礎知識提供の不徹底さが露呈されており、基礎知識を得ることの重要性の大々的な提示とその知識獲得の機会提供をすることが、まず必要であることは明らかである.しかしここで注意しなくてはならないのは、あまりにも大きく深い知識を提供することを期待してはならないことである.一般に対して最低限の知識を提供することが一番求められることなのであるから、それ以上を押し付けてはならない.それにもかかわらず、あまりにも専門的な内容や一般には必要の無いような内容を伝える一般向けセミナーは意外に多い.もっと一般の興味に合い、役に立つ、必要に応じた内容をいつでも提供できる場が求められているのである.
 またこれは障害者スポーツや高齢者スポーツに対してもあてはまる.特にこれらの分野では今、競技者が受動的にならず自分から進んでスポーツに取り組んでいくことを推奨している.しかし実際のところ、これらのスポーツ普及、最大の阻害要因となっているのは「スポーツの仕方を教わっていないのでできるスポーツが無い」ということだと柴田(1986)は述べている.ここで、一般に今まで起こってきたようなことを再発させないよう、正しいスポーツの知識を広めることは重要であると言えよう.しかし、障害者対象の情報提供には、いっそう工夫が必要となる.藤田(2000)が述べるように、情報の受け手のコミュニケーション手段が制限されていることは、PRの仕方一つをとっても、ただ印刷物だけに頼るだけではならない.また、障害者がスポーツを始めるきっかけとなった約30%が、障害のある友人からの影響だったという報告がある.このことから、障害者自身が気楽に参加でき、障害者同士、また医者や企業、研究者らともコミュニケーションを持てるネットワーク作りから始めるべきである.

3−2 体育教育分野において
 スポーツの基礎知識を普及させる機関としては、学校体育教育が挙げられるだろう.小学校から始まる義務教育としての体育教育から、たくさんの教えを受ける機会はある.しかし、実際の体育教育現場での体育理論の授業として、スポーツのトレーニング方などの知識を提供することが徹底されてはいないと思われる.ここでは、体育教育でスポーツ医科学的な内容の授業をしたことがあるか、受けたことがあるかの調査を中学校と高等学校の教員と生徒を対象に、ある一県で行った.
 教員に対しては「これまで勤務した学校での保健・体育の授業で体育理論(トレーニングについて、疲労についてなど)の授業をしたことがあるか」という問いに対して「よくしていた」「したことがある」「無い」のうちどれかを学校別に選んでもらった.調査の結果は「よくしていた」を5ポイント、「したことがある」を3ポイント、「無い」を0ポイントとして換算し、平均値を出して表1に示した.
 また、生徒に対しては「通っている(いた)中学校・高等学校について体育理論の授業を受けたことがあるか」という問いに対して「いつも受けていた」「時々あった」「一度だけあった」「無かった」の中から選び、口答してもらった.この調査の結果は表2の通りである.
 これらが示すように、確かに理論体育の実施率は低いと言える.しかしそれよりも注目すべきは、特に高等学校において見られる、教員はしていると主張しているものの、生徒は受けていないと答える状態である.これでは結局のところ、それからの生活の中で活かせる健康のための知識習得にはなっていないと言える.
 また同じように「中学校・高等学校において体育理論の授業を受けたことがあるか」という問いを全国対象にWebページ上におけるアンケートを行った.「よくあった」を10ポイント、「時々あった」を7ポイント、「一度だけ」を3ポイント、「他の先生はしていたようだ」を3ポイント、「無い」を0ポイントととして換算し平均値を出して、中学校での結果を図1に、高等学校での結果を図2に表した.
 調査個々の結果を見ると、都市部では比較的多く理論体育を経験したという結果が得られたが、平均値を出すと地域、学校の私立・国公立ではそれほどの差は見られなかった.どちらかというと、むしろ、教える教員個人や学校自体で決められた体育の方針による影響が大きいようである.しかし調査結果からは、中学校よりも高等学校の理論体育の経験が多いという結果は顕著なようである.30都道府県中20都道府県でポイント数が上昇した.
 しかし、中学校に対する調査99人中69人、高校では97人中56人が理論体育を経験したことがないと答えている.これだけ多くの学校で理論体育の実施が少ないというのは、教員だけの問題ではない.これはもちろん、文部省をはじめとする体育関係者の今後の努力に期待しなければならない.ただ教育指導要領に「体育に関する知識については、すべての生徒に履修させること(中学校)」「内容AからH については、各年次においてすべての生徒に履修させること(高等学校)」と示すだけでなく、どの内容をどのくらいの時間で授業に取り入れるのか、はっきりさせる必要がある.「授業時間数は、その内容の習熟を図ることができるよう考慮して配当すること(中学校・高等学校ともに)」とだけのはっきりしない表示では、徹底されないのも無理はない.また、「内容のAからGまでの領域の指導に当たっては、内容Hとの関連を図って指導するよう留意するものとする(高等学校)」と示しているだけに、その曖昧な表現で、指導内容にも曖昧さを導くことがあるのは確かである.
 学校以外のスポーツ知識提供の場を考慮するかどうか踏まえた上で、体育教育でどこまでを教えるべきなのかはっきりさせることが必要なのである.

3−3 競技スポーツ分野において
 競技スポーツでは、競技結果に対する限界を取り除くためにも、まずスポーツを形作る現場のシステムをオープンにすることが必要になると述べてきた.これまでは選手と指導者とだけが現場を作り上げていることが非常に多く、発展してきた医科学の情報を取り込みにくい状況が続いていた.この「閉じた環境」はとても効率が悪い.結果として、トレーニングの質や競技能力を落とすだけでなく、選手生命や選手の健康、その果てには命にも大きく関わり、危険である.スポーツ医科学を押し付けるべきではないが、必要だと思ったときにすぐ取り込める環境にしておくことは大切なことである.
 また選手やチームは常に様々な問題を抱えているものである.今よりももっと多くの側面からサポートを行えるシステムは常にあって欲しい.しかし、現在の競技スポーツ界の在り方は複雑で、選手が望んだとしても指導者や所属団体が、それを許さないきらいがある.選手や指導者が求めたとき、時間や金銭、組織的な"しがらみ"にとらわれず他分野とのつながりを持てる環境が求められる.
 いずれにしても、選手も指導者もが新しい発見をできたり、間違いに気付くことのできたりするような環境作りを促していかなくてはならない.つまり、スポーツに関わるポジションとして"独りよがり"にならないようにすることは必要なのである.そのためにはまず、指導者が指導を受けられる機関、もしくは講習を定期的に受けなければならない仕組みを作ることも必要となってくるだろう.

3−4 スポーツ科学分野において
 スポーツ科学分野において今一番問題であるのは、誰が現場のサポートに関わるべきなのか、誰が一般や指導者に情報を伝達すべきなのかはっきりしていないことである.
 例えば海外では、スポーツに限らずどの分野でも、大学というものがこの役割を果たしていることが多い.人材の派遣やノウハウの伝授は大学のすべきこととされているのである.しかしこれを日本で当てはめようと考えるとそれは難しい.特に国公立大学においては、教員の国家公務員法などによる"しがらみ"が大きく、自由に活動できるとは言い難い.私立大学も含めて、大学という組織自身の規則や金銭、時間的な制約は、現場に自由に入っていくことを難しくしていると言えよう.
 また、このような基礎知識の提供を教育と捉えるならば、文部省の仕事と考えられ、国公立大学や公営の医科学センターの管轄となるはずである.しかし、国公立大学に関しては前述の通りで、医科学センターにしても公営である限り同じような制約の可能性がある.それに加えて、ほとんどの研究者は既に大学などに所属していることもあり、なかなか人材と人数が集まらないことも多い.やはりここでも難しいと言える.
 あるいは民間のフィットネスクラブなどで、情報提供をうまくできるかと言うとやはり難しい.営利目的なだけに、様々な人材をたくさんスタッフにすることは容易ではない.大学関係者など兼業の難しい人間がスタッフになって選手やチームのサポートに関わることができなければ、その時点で最新の優良な情報を伝えることはできないだろう.
 以上のように、スポーツ科学を現場に伝える上では、どの組織にとっても不都合な点がたくさんある.だからと言って、どこも動かなくて良いということでもない.スポーツという特性上、多様な側面からのサポートが必要になるだけ、その人材とシステムは欠かせない.一体どこの組織が、現場のサポートをスポーツ科学の視点から行うのか、はっきりさせることが求められている.


4.既存のスポーツ関連団体・施設
 ここでは各スポーツ関連団体が、いかなるサポートをどのように行っているか、アンケート形式で調査を行った.「全国のフィットネスクラブ」、「スポーツ医科学センター」、スポーツのセミナーなどを開く「情報提供団体」、その他のスポーツ団体としてこれからの発展から新しい健康スポーツの形が期待される「障害者スポーツ団体」のうちから30組織を選出し、郵送による調査を行った.以下にはその結果を述べる.

4−1 フィットネスクラブのサポート内容とスタッフ
 通商産業省の報告(1998)によると、日本にはフィットネスクラブと言われるものが約1600ヶ所ある.白井(2000)は、フィットネスクラブと言うものの位置付けを、トレーニングマシンやスタジオなどの設備と、スイミングスクールをはじめとするレッスンのサービスに加えて、健康チェックや健康のためのメニュー提供の場ということにしている.
 全国15ヶ所のフィットネスクラブに対し、トレーニングサポートとして「技術指導」「体力作り・トレーニング指導・運動処方」「健康状態・体力測定」、メディカルサポートとして「ケガ等の治療・マッサージ・テーピング」「リハビリテーション」、メンタルサポートとして「心理検査」「メンタルトレーニング」「カウンセリング」、それに栄養学サポートとしての「食事・栄養サポート」の全9項目におけるサポートを、行っているか、どんな形式で行っているか、どんなスタッフが行っているか、アンケートで調査した.そのうち回答のあった5ヶ所全てで、体力測定やトレーニング指導、食事指導を行っており、カウンセリングなどで利用者に対する個別指導を行っているところもあった.
 しかし、そのスタッフは利用者の数と比べると非常に少ない.利用者が月にのべ何千人も来るところであっても、スタッフは10人以下であることがほとんどであり、その分をアルバイトで補う形を取っている.スタッフの内訳としてはアスレチックトレーナーを雇っていることが多いが、それが常勤であることは少ない.
 以上より、設備やサービスなど物質的要因は優れているフィットネスクラブではあるが、サポート内容の幅の狭さと関わるスタッフのとしては、やはり本当に必要としていることにはまだ物足りないものとなっている.

4−2 スポーツ医科学センターのサポート内容とスタッフ
 スポーツ医科学センターは主に、国や地方自治体が組織する公営のものと、私営のものの2種類に分けられる.ここではフィットネスクラブ同様の調査を依頼した全国のスポーツ医科学センター12ヶ所のうち、回答のあった公営4ヶ所、私営6ヶ所について記す.結果は表4のようであった.
 全体として主なサポート内容は体力測定という所が多い.しかし費用も比較的高く、一万円以上かかる所や、測定に何時間も費やす所もあり、あまり利用しやすいものとは言えない.私営のスポーツ医科学センターで、その他にトレーニング指導や食事へのアドバイス、メンタル面での相談を受けている所は、公営のものに比べると多いが、一組織のうちに全ての分野からサポート可能な所はまだ少ない.それに加えて、私営組織では障害者や高齢者への対応がまだされていないところも多い.公営組織ではサポート内容がトータルにカバーされているとはいうものの、その方法が講習会のみであったりして、利用者一人一人のニーズに直接応えられているわけではないことが見受けられる.また、公私営組織ともに、サポートに直接関わるスタッフが常勤であることは非常に少なく、科学者や医者、トレーナーが扱うよりも、資格を持っていない職員が扱うことが多い.そしてフィットネスクラブ同様に、一組織での月間利用者が千人を超えている所が多いにも関わらず、どこも10〜20人のスタッフで構成され、スタッフ人数が多い所でもアルバイトで補っていることが解った.
 現在は唯一、国として運営することになる「国立スポーツ科学センター」が建設されているが、施設の目的としては「競技力向上のためのスポーツ科学の研究,スポーツ医学の研究,スポーツ情報の収集・提供,科学的基礎トレーニング方法の開発等を一体的に行う」となっており、あくまでも研究が主体で、その後にサポートが付いてくるという形となっている.

4−3 情報提供団体のサポート内容とスタッフ
 スポーツサポートに関わる団体として注目されるのは、講習会などを開く情報提供団体の存在である.このような団体のほとんどは各種学会や関連企業などに属し、活動を行うものである.それゆえに、そのスタッフには科学者や医者、理学療法士をはじめとする専門的人間が関わることが可能となる.スタッフとして関わる人間の制限が少ない点で理想的と言えよう.しかし、個人として専門分野をもっている人間がスタッフでいるだけに、常にその団体に関わっていることは困難となる.このような団体のほとんどのサポート方法が講習会形式のみであることが、その困難さを物語っている.利用者への個別サポートについては、そのシステムを持っていない所がほとんどであり、今後郵送やFAX、E-mailなどを使ったサポートが多く出てくることも考えられる.
 また、これらの団体には利用者の制限がないものの、会費などの金銭的問題と、団体自身の所在地が都市部に集中しているという地域格差の問題、それに団体独自のPRの少なさから存在を知る機会が少なく、誰もが利用しやすいものとは言い難い.
 スタッフの質、提供する内容としても、利用者にとって大変有効なものを他団体よりも持っている分、今以上の柔軟な対応と工夫をしなくてはならない.

4−4 障害者スポーツ関連団体のサポート内容とスタッフ
 障害者のためのスポーツの機会は今どんどん増えている.しかし勝矢(1997)が述べるように、海外でなら楽しめるスポーツも、日本では「危ない」という理由で、することのできない場合が多くある.ここでは現在の障害者スポーツに関する組織・団体の提供する内容やサポートの仕方、スタッフについて記す.
 障害者の楽しめるスポーツとして大部分を占めているのはフライングディスクや鬼ごっこ的なものを含むニュースポーツと呼ばれるものである.その他にはごく一般的なバレーボールやテニス、バドミントン、水泳などが多いが、その多くはルールや用具に工夫を加えた障害者オリジナルのものに作り変えられている.したがって、ほとんどの障害者スポーツにおける狙いは競技そのものをうまくなることへの楽しみではなく、仲間と一緒にプレーすること、コミュニケーションを取ることの楽しみ、つまりレクリエーションを目的としたものである.
 各障害者施設などで開かれているスポーツ教室についても同様のことが言え、練習の仕方などを教えるものは、ごく少数である.
 また、障害者スポーツのイベントも、全国身体障害者スポーツ大会などの大きな大会を除けば、そのほとんどが地域単位に行われているレクリエーション目的のものである.現在の日本では、障害者自身が自由にスポーツを選び、いつでもどこでも挑戦できるという状態ではなく、特に競技スポーツをしていく上での環境は十分に整っているとは言えない.
 指導するスタッフについては、スポーツ教室で平均的に5〜10名程であり、教室を提供している組織の職員が行っている.スポーツイベントについてはスタッフの大部分をボランティアで成り立たせている.


5.海外におけるスポーツ界の状況
 ここでは、これまで述べた日本の状況と比較しながら、海外のスポーツ事情を挙げる.
 まず、海外で行われている体育教育としては、そのほとんどでミドルスクール から、体育授業以外で、もしくは体育に含まれる形で健康に対する授業がカリキュラムとして組まれている.その授業の中では、より健康に過ごすための方法から、運動の正しく効果的な仕方などを教えており、特別にウェイトトレーニングの授業を設けている学校さえある.そのようなカリキュラムが中学・高校とも組まれている.その上、理科の授業として運動生理学を学べる学校も少なくはない.スポーツと深く関わり、自ら練習に取り組むようになる時期に、適切な内容を提供されている点、そしてその教育が比較的長い期間を持って成されている点は、その教育を受けた時期そのものへの効果もあるが、それ以上に、以後の長い人生の中でも活かされるように考えられる.海外のスポーツ雑誌は、日本のようにスター選手のグラビア特集などでは終わらず、トレーニング法や栄養学について書かれている.それを読者が好んで読む点も、その良い例ではなかろうか.
 この例でもわかるように、海外では非常に多くの人たちが「健康」に興味を持ってスポーツに取り組んでいる.それゆえに、フィットネスクラブ数も非常に多く、1600件に満たない日本に比べ、アメリカでは約10倍の15000件以上が存在している.会員数も日本の約300万人に比べ、約3000万人いる.そしてその中で提供されるサービスも多種多様である.喫茶店やビデオ鑑賞コーナーなどのあるアミューズメントパークのようなものへどんどんと進化しているが、健康のためのメニューを提供する点で劣りはない.アメリカのフィットネスクラブ検索ページhelthclubs.com に登録されている全17ヶ所中13ヶ所において、食事のカウンセリングや個人的なトレーニングの提供と相談、また理学療法によるケガの治療を見てくれるサービスを持つフィットネスクラブが存在した.フィットネスクラブという場へ積極的に理学療法士などが入り込んでいる点は見逃せない.
 また、トップアスリートに対するシステムも非常にしっかりとしている.特に海外ではプロスポーツ選手に対するマネジメントが発達しており、試合やマスコミへの対応も非常にスムーズに選手が行えるようになっている.もちろん、トップアスリートには専門の科学者や企業が協力することも珍しくはないことである.特に日本でいうスポーツ医科学センターの運営は、日本のようにただ施設という器を作って、そこへ後から人材を起用していくような、形から入るものではなく、はっきりと目的を見据え、それに対して必要なものを集めている.それゆえに施設とサービス内容、人材が揃って動いているのだ.
 障害者スポーツに対しては、日本との差が顕著に表れている.まずその歴史の違いが大きい.日本では東京オリンピックの後に開かれた東京パラリンピック(1964)からが本格的な始まりで、せいぜい30〜40年の歴史というところである.しかしヨーロッパなどでは100年以上前から障害者スポーツが成立している.それだけに参加者も非常に多く、柴田(1986)によれば1983年でさえ、日本での障害者スポーツ団体数が約300であったのに対しドイツでは1400以上あり、登録者数も日本の約6000人に対し13万人となっている.何よりも日本では、できる種目に制限の多い障害者スポーツではあるが、海外ではほとんど健常者と同じ種目に挑戦できる.このことには指導できる人間が多いということが大きく関係している.海外では多くの国に障害者スポーツに対する指導者養成課程を持つ大学があり、現場実習も義務としている.また、大学以外にも養成制度が敷かれている.指導できる人間が多ければ、障害者自身がスポーツに挑戦する機会は増え、知識を得られることによって、それ以後自発的にスポーツへ取り組んでいくという、障害者スポーツの目指すものへと行き着いている.
 教育から企業や科学者まで相互に作用しあって、反発することなくスムーズに動いている海外のスポーツ界の状況に、大きく日本は遅れをとっていると言える.


6.今後期待されるシステム・組織

6−1 日本スポーツ界にある現実的ずれ
 改めて述べるまでもなく、人間は誰しも健康で楽しく毎日をすごしたいと思っているものである.しかしながら、未だに日本ではスポーツと言うと海外ほど健康へ繋がるものとは捉えられてはいない場合が多い.中学校・高等学校でのクラブ活動に見られるように、まずは試合・大会での勝利が目的となっている.もちろん最終的に目標が、よりレベルの高いものへと変化していくことは望ましいことであろう.だが、初めから勝利を目的に見据えているような場では、健康や交流目的に「楽しむスポーツ」をしようと思う人間がいたとしても、それは難しい.その場合、民間のクラブチームやフィットネスクラブで活動しなくてはならないことが多い.またその逆の状況も在り得よう.クラブ内の大部分の意識が、楽しむだけのものならば、より上を目指したい人間にとっても、その場は適さないものである.このようにスポーツに対して様々な在り方の許されていない状況は、スポーツを行う人間にとって大変やり辛いものである.この状況は健康で楽しくありたいという人間の欲求と、ずれているのではなかろうか.どんなにレベルの高い競技成績を残そうとしても、スポーツというものが健康の上に成り立つものであり、スポーツという目的のために健康を害するような本末転倒した考えを持たないように意識できる、広いキャパシティを持つことは、これからのスポーツと向き合う上で大切なものである.
 日本のスポーツ界として目指す理想像は、文部省の保健体育審議会より出された1997年の答申によれば、生涯に渡る心身の健康の保持増進を目的に教育や公共施設においてのスポーツ振興と示されている.ここには健康の増進を大きく主張しながらも、学校クラブ活動における健康目的の参加には触れず、「勝利至上主義の考え方を是正していく」としか書かれていない.やはり健康のためのスポーツと大きく提言されていても、クラブ活動での積極的な健康目的の活動は保証されるところまで行っていない.そして健康やスポーツに対する情報提供や学習の場の必要性を述べながらも、結局誰がどうやって進めるのかといった詳しい考えは書かれていない.また、情報提供の拠点を作り、そこに研究者などを専任化することを促す内容も書かれている.確かにその施設・団体に専任の研究者がいれば、常にその場にいることができ、大学など他の所属に対する"しがらみ"にとらわれることはなくなるであろう.しかしながら、逆にその施設・団体だけにとらわれ、自由な活動ができなくなる可能性は大いに在り得る.しかもそれが国の提案であるだけに、国公立大学同様の制限は避けられない.また、地方に既存する公共施設において、情報提供や学習の場を作ろうとする案も出ているが、具体的に誰がどうやって始めるのかは、これもはっきりしない.こういった新しいスタッフが必要となる事業を既存の場へ委託しようとするのは、詳しい規定などが必要となり、時間のかかる問題となり得る.それに加えて、2000年に同会から出された『スポーツ振興基本計画のあり方について―豊かなスポーツ環境を目指して―』の中間報告によれば、総合型スポーツクラブの創設・運営を提案し、「2010年までに全国の各市町村に少なくとも一つの総合型地域スポーツセンターを育成する」とあるが、結局のところスポーツ情報提供については触れられず、それよりも地域密着度の下がる広域スポーツセンターに委ねられることになっている.これらに見られるように、行政の示す内容は、的を射てはいるものの現実をよく見ておらず、具体的な実行性に欠くものとなっている.
 また、選手と指導者に対し、今必要としていることとスポーツ科学に対する期待を調査した先行研究でも、そのずれははっきりしている.ただ情報が不足しているだけでなく、選手・指導者らが必要としている事項について、何をすればいいのかという基本的対処の仕方さえも広まっていなかったのである.
 以上からは、あまりにも理想から離れている現実と言うものがうかがえる. その中で全国中へ進出を続け、施設も整っているフィットネスクラブという存在が今後、アメリカのようになっていくとすれば、今まで成し得なかったスポーツ知識・情報の普及の上では大きなカギを握っているであろう.しかしながら日本という場、システムがあるから故に成し得ないことも多い.フィットネスクラブが営利目的組織であるだけに、利用者のニーズに合わせたサービスを提供できる点は非常に魅力的ではあるものの、それだけに関わるスタッフに制限が加わることは否めない.その道の最先端を行く研究者や大学という組織自体の入り込めない状況では、その時点で最高のものを提供できるとは言えないだろう.アメリカのスポーツ界を模倣するというような一筋縄な考えでは、今後の日本スポーツ界の改善は難しいのである.
 しかし、競技スポーツにも健康スポーツにも今よりも正しい知識・情報の普及は絶対に必要なものである.そのような状況にあたって、現在若い研究者らを中心とした新組織の立ち上げが盛んに行われている.しかしその組織のほとんどは、研究者だけ、医者だけの集まりにとどまっていたり、取り組んでいる内容がお互いの勉強会やディスカッションの場だけで終わっていたりする.現場へ出て行くことの必要性を感じながらも、行動に移せていないこの状況を打開しなくてはならない.また組織に属するものが多様であっても、PRがほとんど無く、口コミや知り合いの紹介などだけでは、本当に必要な人全てにサポートが行き届くわけがない.

6−2 インキュベーション的役割の重要性
 経営・経済分野には「インキュベーション」という仕組みが存在している.インキュベーションとは本来の意味では「卵を温めること」や「保育すること」を指しているが、特に欧米では「賃貸スペースの提供」「講習会の実施」「情報の提供」「専門の人間による相談」などで新しい企業家のサポートを行う仕組みとして存在している.イギリスの民間企業から本格的に始まったこのシステムの設置は、現在は企業だけでなく地方自治体や大学が中心となって行っている.そしてこのシステムによって、技術の習得や無駄のないスペース、コストの削減、そして他企業間・他組織間でのネットワークが築けることによる信用力の向上、交流による情報交換を可能にすることなど、多大な効果があり、結果も現れつつある.アメリカでの小規模ビジネスは設立後5年程で、その数は半数以下に減ると言われてきていたが、村田(1989)によるとこのシステムを利用した企業では、その66%が残っている.
 そこでこのインキュベーションという仕組みを、スポーツ界に当てはめることを考えたい.これまで健康やスポーツに対して存在する問題点は述べてきた.まずは、一般やスポーツ選手に対して、研究者などが正しい情報を提供する環境が必要であるということがあった.そして、国の施策としてもその両者の中間に立つ第3のポジションの設定が望まれている.しかし世間では今、こういった仲立ちで情報を受け渡す役割は既に時代遅れで、IT革命による恩恵の結果、利用者自身が研究機関や企業、専門家に問い合わせ、自分の思い通りのサービスを提供されていく環境が成り立とうとしている.この事実から見れば、スポーツ界における第3のポジションの存在は一見時代錯誤の感もする.しかし、今の日本スポーツ界の実状では、組織的問題からも両者を直接結びつけることは難しく、これまでにもうまくはいっていない.また利用者自身が自分の必要とするサービスを選んでいくには持ち合わせているべき、スポーツの基礎知識が少なすぎ、まだまだアドバイザーの介助が必要であることは間違いない.したがってやはりスポーツ界における第3のポジションの必要性は否定できないのである.ここにインキュベーションシステム を取り入れることによってその有効性は一層向上する.
 スポーツ界において、第3のポジションにインキュベーションシステムを採用することになれば、提供できる内容が知識的なサービスに限らず、利用者のニーズに合わせて医師やマッサージ師、フィットネスクラブなど企業や国の施設に対しても、適切なものを紹介するサービスが可能となるだろう.そうすることによって選手・指導者にとって、必要以上の時間や費用をかけることなく専門的・発展的アドバイスを得られる場ができる上、スポーツイベント、練習の場を探す手間も省くことができる.また、障害者スポーツの上で求められる障害者同士や医師らとのコミュニケーションをとれるネットワークも持つことができる.
 そして、企業や公共施設、医者の立場から見ても、利用者を紹介されることによって自組織のPRもでき、長期的な顧客を獲得する可能性も広がる.
 またこのシステムでは、従来ボランティアとして情報などの提供ばかりの役回りだった科学者にとってもインキュベーションされる場となるべきである.選手・指導者だけでなく、科学者もスポーツ界の一員である.彼らにとっては直接現場と交流できる点だけでなく、同じ科学者間での情報交換の場や共同研究、他組織とのネットワークを構築することのできる場とすべきところである.
 ここで注目すべきは、選手・指導者の現場と科学者らの側との、以前から問題とされていた二極間のつながりを仲介するだけでなく企業や国などの施設を含む環境的側をも結ぶ存在となっていることである.結ぶと言うよりもお互いが歩み寄って場を作っているだけに、これは既に第3の立場とは言えず第4のポジション、強いて言えばスポーツ界における新ポジションであると言えるだろう.この形態、このシステムの在り方をSports Incubation System(以下SIシステムとする)と名付ける.そしてこのSIシステムを設けることによる効果には、これまでの日本スポーツ界の問題を解決していく上で大きく期待でき、重要な意味をもたらすであろう.

6−3 NPO組織とする利点
 しかし、そのSIシステムを実行するためには、どのポジションの人間も制限なく参加できることが絶対条件である.そのために新ポジションの存在をNPOとして設置することが考えられる.
 NPOの概念について仙台NPO研究会(1999)によれば、「社会的使命を実現したいという、個人の思いや志を社会的に変える仕組みであり、市場では提供できない社会サービスを民間で供給する仕掛け、ないし事業体」としている.SIシステムの持つスポーツ界における意味を考えても、その概念と適合する組織と言えよう.また、今までのように企業化はもちろんのこと、公共化、法人化してしまえば、特定官庁の監督下で活動を行わなければならず、制約が多かった.しかしながらNPO法人とすれば、原則的に主務官庁にコントロールされない制度となっており、対応すべき問題や専門分野のタテ割りを逃れることができるのである.様々な分野が絡み合って成立しているスポーツ界だけに、多分野間でのノウハウの共有と協力が可能となれば、その効果は大いに期待できる.
 スポーツにおける、主なNPOの活動としては2000年にラグビー日本代表監督平尾誠二氏によって立ち上げられたNPO法人スポーツ・コミュニティ・アンド・インテリジェンス機構がある.これは主に地域の小中学生を対象にスポーツ教室の開催による交流、スポーツで得られる能力の研究や普及を行い、スポーツ以外ででも貢献できることを目指した団体である.この団体は、平尾氏ならではできることと、地域の特性を使った素晴らしいもので、今後の活躍が期待される.そして、あとを追うNPO団体の良い手本となり得、大きな影響力を持つであろう.また、知的障害者に対する障害者スポーツのサポート団体として、スペシャルオリンピックス日本がある.親組織はアメリカ・ワシントンに存在するが、国内にも地区組織として99年現在、全国に16ヶ所ネットワークが敷かれている.日常のトレーニングプログラムの提供を主なサポート内容として、交流の機会も全国的・地域的に進めている.全国・世界的なネットワークを保持するスポーツサポート団体として、学ぶべき点の多い団体である.以上のように既にNPOは、比較的少人数、地域においても、多数、広範囲においても効果を発揮しつつあるのだ.
 これからの社会では、必要な人間が必要な情報や物だけを得、必要でない人が譲っていくという在り方が主流になってくるだろう.同じくして、スポーツ界における知識や情報についても、必要な人間が必要なだけ得、持っている人間が譲る状況は人々が欲するところである.現在、インターネットを使ったWeb上の商品やサービスの取引が、今や企業や行政だけのものでなく、一般にもそのコストの低さから広まっているのは周知の事実である.これをSIシステムに取り入れることによって、地域格差問題と情報コスト・時間的コストの問題が解決されるだろう.前項で述べたように、どの立場の人間からもメリットが存在し、NPO化によって関係者に制限がないとすれば、このときのSIシステムはまさにフリーマーケットが行われているかのようである(図3).この状況を「スポーツ知識のフリーマーケット化」と呼ぶことにする.「マーケット 」とすると収益をあげることが目的であるような語弊があるかもしれないが、ここでの意味は一般のフリーマーケット の"形態"を指している.以上のようにNPO組織とすることによって、SIシステムが活きてくるはずである.
 基礎的知識の普及は、公共的サービスであるべきだからと言っても、もはや行政だけの仕事であるとは限らない.


7.考察
 本論文では、現在の日本スポーツ界において何が必要であるかを知るために、分野別の現状と問題点を調査し、有効な解決策として、SIシステムの設置とNPO化の有用性を導き出した.
 もちろんスポーツと言うものの性格上、様々な分野との協力や努力は欠かせないものであり、これまでに述べたもので充分であるとは決して言えない.しかしながら、これまで日本の政府が行ってきたように、ただ施設・環境を作って"新しく"始めるのでは意味が無いことにも触れておく.期待されている国立スポーツ医科学センターにしても「センターでは、スポーツ医・科学のサポート、研究を行い、その成果を取り入れた科学的トレーニングの場を提供する」とある.それがどんなに科学的で効率的なものかは取り上げないとしても、トレーニングを提供している場は公営のもの以外を合わせれば、既にたくさんある.その場所だけで、ただ場や情報を提供するのではならない.スポーツ知識・情報の需要は、地域や利用者に制限無く存在するのだ.こういった施設とそこを利用する研究者や選手をうまく繋げてこそ、意味があるはずだ.それによって初めて、利用しやすい環境というものが作り上げられ、正しい知識や情報が活かされるのではないだろうか.だからこそ、スポーツ界におけるSIシステムの浸透と知識のフリーマーケット化というものは、これまでの日本スポーツ界の問題点を的確に捉えており、スポーツに関わる全ての人に有効なものへと改善していく上で、必要な第一歩となるはずなのである.
 ここにはインターネットなどの活用により、コストの低いサービスの提供も可能となる.しかし、未だにインターネットの普及が全世帯の20%程度の日本では、これだけに頼ることはできない.スポーツの対象が年少者から高齢者、障害者にまで及ぶため、この部分を慎重に進めなくては参加できる者だけの"独りよがり状態"になりかねない.インターネット端末を持っていなくとも、郵送や地域のネットワークによって参加・利用可能にできるよう、今後もその時々に合わせた工夫のできる、柔軟な対応というものが望まれる.
 このような多角的視点から対応できるシステムを持つスポーツサポートの場ができれば、日本スポーツ界における基礎的知識の普及と選手の能力・健康状態向上の進展が期待できる.
 今まさに、日本のスポーツを変える時なのである.日本のスポーツ界は、本論文で述べたSIシステムのような場を必要としていると言える.


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―  あとがき  ―

これからは、豊かな生活づくりを目指すことや高齢社会であることを踏まえた上でも、スポーツが大変重要なカギとなるだろう.そんなスポーツをもっと人々に身近なものに、そして有効なものにしていくため、まだまだ多く存在するはずのスポーツ界の問題を、私は解決していきたい
2000年8月15日 徳島にて
図・表・脚注は未完成(もちろんhtml化がめんどくさいから(笑))


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